院長

やまむら歯科:山村 昌弘
山村 昌弘
理事長・歯科医師
血液型 O型
出身校 愛知学院大学歯学部
趣味 ピアノ、映画鑑賞
好きな食べ物 え○す屋さんの焼き鳥とワイン
2020年の目標 診療アポイントメントのム・ダラリ(ムダ・ムラ・ムリ)をなくすことによる患者さんの診療効率向上。

院長・歯科医師 山村昌弘 Dr.Masahiro Yamamura



クレド-信条・志(こころざし)



クレドとはラテン語で信条、志(こころざし)を意味します。

現在では世界中の企業で経営理念や行動指針として使われているのです。

私たち「やまむら歯科」でもクレドを策定し、より良い歯科医院を目指して、毎日朝礼でスタッフ全員で復唱しています。


【やまむら歯科クレド】
挑戦の先には、成功か学びしかない。
大きな挑戦の先には、大きな成功か、大きな学びしかない。
もし失敗があるとすれば、それは何もしなかった時である。
現在の自分は過去をどう生きてきたかの結果であり、
未来の自分は今をどう生きるかで変わる。
-福島正伸-



院長 山村昌弘が開業するまでをご紹介!


出生~幼稚園の頃


岐阜県関市中濃病院にて昭和46年5月30日の日曜日、山村義孝(当時27歳)、富美子(当時23歳)の長男として生まれました。

予定日より2ヶ月近く早く産まれ、小さい赤ちゃんだったようです。

いわゆる「長男初孫」の私は、両親にもまた、祖父母にも大きな愛をもらいすくすくと元気に育ちました。


歳が1つ上の近所の友達が、みんな幼稚園に行き出した頃、「どうして僕は幼稚園に行けないの!?」
と駄々をこね、幼稚園に無理をいい、1年早く入園しました。

年少さんである赤組さんで2年も過ごしました。


幼稚園時代からわんぱくで外でばかり遊び、また家のお鍋を持ち出し、鍋いっぱいに「だんご虫」をつかまえて入れ、母をびっくりさせた事もある程、いたずらっ子でした。

また、音楽の先生の免許のある母のすすめで5歳になった私はピアノのおけいこを始めました。


小学生の頃


父の仕事の都合で、名古屋市に引っ越しました。あいかわらずわんぱくで家に帰るとすぐ外に行き、うす暗くなるまで木登り・鬼ごっこなどをして遊びました。

また、お風呂では妹と弟と一緒に外科医である父が持ち帰ってくれたプラスチックの注射器を水てっぽうにして遊んでいました。


そんなこともあってか、水が大好きで4年生になると水泳部に入りました。

この小学校の水泳部は全国大会にも出場する程で練習もとてもハードで毎日10~20kmも泳いでいました。

また、当時ガンダムが流行でガンダムのプラモデルいわゆる「ガンプラ」も沢山作りました。
細かく色を塗ったりジオラマを作ったりと細かいことも結構すきで、また上手だったと思います。(笑)
手先は器用だったようです。

休日は友達はみんな家族で過ごします。
でも外科医である父には休みもなく、あまり遊びに連れていってもらった記憶がありません。

母からは「お父さんはお医者さんです。病気にお休みはないでしょ?」と言われ子供なりに理解はしていたつもりでしたが、友達から
「遊園地に行ったよ!!」とか「レストランでハンバーグ食べたよ!!」なんて聞くと、とてもうらやましかったことをよく覚えています。


中学・高校時代


好奇心旺盛な私にとって刺激的な時でした。
ヘアースタイルが気になり出し、ファッションにも興味をもち「Men's Non-no」は愛読書でした。

ゲーム・花札・マージャンも一生懸命やりました。 (別に不良ではなかったのですが(笑)) 

幼稚園の時に始めたピアノは高2まで続き、発表会も毎年出ました。
そして初めてのデートもこの頃で、東山動物園に行ったのを覚えています。

勉強は…?というとあまり真剣に取り組んだ覚えはありません。
好きな教科はいいのですが、苦手な国語・社会はほとんど勉強しませんでした。

それなのに友達には「俺は国立の医学部に行く!!」なんてバカな事を言っていました。


大学時代


1浪しても国立の医学部は全く無理で2浪がほぼ決定していました。
が、ある方に「おまえは手先が器用だから歯医者はどうだ?」と勧められ、地元の愛知学院大学の歯学部の2次試験を受けました。

その結果、合格することができたのですが、何も歯医者のことを解らないまま歯医者をめざすこととなったのです。

いよいよ大学生活がスタートしました。車の免許をとり、またお酒を覚え、アルバイトも始めました。

アルバイトは家庭教師・塾講師を4年間程しました。
いかにして人に伝えるか?
どうすれば解り易く説明することができるか?

を絶えず考えていたので、現在治療の説明するのにとても役立っているように思います。


また、歯学部はクラブ活動が盛んで私は音楽系のクラブに入りました。
ビートルズなどのオールディーズ系やロックなど主に洋楽のバンドをしていました。

12年間続けたピアノの効果もあって音程はよくとれたので、バンドのメンバーの中でも中心となりヴォーカルメインで活動していました。

年に2回ぐらいはライブハウスを貸し切って、友人たちの前でライブをしたのも今ではとても良い思い出です。


5~6年になると大学が忙しくなってきました。
それまでの知識をつける勉強から、テクニック的な実習がメインになってきました。

実際に患者さんのお話を聞いたり治療したり、また銀歯や入れ歯を作ったりそしてテスト・レポートも多くなりバタバタする毎日を過ごしました。


「本当に歯医者になるんだ」と実感しながら沢山勉強をしました。

特に国家試験前には人生で1番頑張ったと思えるくらい1日10時間以上家も出ずに勉強しました。


歯科医師となって


努力の甲斐もあって、国家試験に合格しました。
そして先輩の誘いもあって、大型歯科医院に就職しました。

当然、知識も技術も浅い若いドクターには患者様も多くの不安を持たれます。

そのため何度も何度も「別のドクターに代えて下さい。」などとくやしい思いもしながら、コミュニケーションは絶対に大事にしようと心に決め頑張りました。

また、休みの日でも時には講習会に参加して、歯科医師としてレベルアップできるよう努力しました。

そして段々と多くの患者様から支持をいただくことができるようになり、開業しても何とかやっていける知識と技術を身につけることができました。


開業


平成15年4月。
「やまむら歯科」がスタートしました。

私は3つの決意をしました。

まず1つ。
歯科医院の多くはコミュニケーション不足です。
患者様には十分な説明もなく治療が進んでしまう。
「○○歯科で奥歯を削られた!」など被害者的発言が多いのはこのためです。

やまむら歯科ではきちんと説明して納得して頂いてコミュニケーションがとれてからの治療を心掛けよう!!

これが1つ目の決意です。

2つ目です。
治療されるのは正直怖いと思います。
でもいつも院長・スタッフに明るくやさしく、大きな声で、そして笑顔で迎えられたらどうでしょうか?

やまむら歯科では少しでも恐怖・不安を取り除くことの出来るように意識し続ける!!

これが2つ目の決意です。

3つ目です。
医療は日進月歩です。
歯科医院では新しい薬・材料や高度なテクニックを必要とする場です。
色々な情報にアンテナを張り、講習会などにも積極的に参加します。

やまむら歯科では、決して努力を惜しみません!!

これが3つ目の決意です。

この3つの決意は今でも全く変わっていません
来院される患者様おひとりおひとりが御自身のお口の健康を安心してやまむら歯科に委ねることができるよう、これからも頑張っていきます。





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